ミレニアル世代万歳ブログ

大阪に住む至って普通な大学生の日記

学問と教育について

以前のアメリカ留学での学びでもあったが、今の就職活動や学校教育はあまり本質的ではない。いい会社(大手)に就職するためにいい大学に行く(理系がベター)から始まり、いい大学に行くための勉強をする(過去問や対策授業)、さらには単位を得るために一夜漬けやカンニングをする。これは何のためにそのことを学んでいるのかを理解していないし、それを伝えることが出来ていない教育機関や国、大人たちにも責任があると思う。

イーロンマスクも言うが、学位なんて本当に必要ない。学問とはたくさんの社会の問題を解決するために神様が人類に与えたツールであって、決して人に優劣を付けるためのものではない。そう思うと中学校の頃よく先生から、「テストの点数で順位が決まり、その順番が廊下に張り出される。上にいないと恥ずかしいぞ」と言われていた。

今考えると教える人のマインドセットがこうだとやはり問題だと思う。

 

では、人は何を学ばなければいけないのか。その答えは簡単で、自分が何を学びたいかで決まると思う。いやだから大学に学部や専攻がある!という声が聞こえてきそうだが、その学びたいことの本質を考えて選考を選んでいる学生は本当に一握りだ。私も実際そうだった。これがしたい。これをしたら社会に影響を与えることが出来る。そのためには何を学ぶ必要がある。この学問のこの分野が必要で、その知識をこのように活用したらマネタイズできる。など入学当時は社会に直結したゴールからの逆算の通過点にいなかった。そもそも学ぶこと(新しい知識やノウハウを身に着ける)の楽しさを理解していなかった。

 

簡単に言うと必要なのは具体的などんなことをするためにどのようなスキルや知識、ノウハウがいるのかを考えて学ぶ。それが学問の本来の意味でそれを伝えるのが教育だと思う。

それは決していい会社に行くための数値化された書類上のための物ではない。